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人生は「人」との出会いから
〜人好きが高じて女子高生(JK)と25年〜
株式会社ブームプランニング代表取締役社長 中村泰子
■原点は子ども時代
〜「人」好き! 好奇心旺盛〜
子どもの頃の私は、精神的にかなりガキませ!で、何かを感じたり思ったことの記憶だけは3歳くらいからあります。両親には健康第一でおおらかに育ててもらったので、性格はおっとりのんびりしていましたが、好奇心旺盛で活発でした。
特に興味があったのはいつも「人」。その人ならではの「感性」や「個性」をみつけると異常に反応し惹かれたのを覚えています。気になる人、好きな人に対してはとにかく積極的で、気付くと年齢や男女関係なくいろんなタイプの人たちと仲良くなっていました。

〜東京への憧れ〜
生まれ育った山口県の徳山市(現:周南市)は、日本有数の石油化学コンビナート地帯で、東京の地名が全国一多いところ。昔から東京を意識する環境にありました。
「東京」の風を運んできてくれる転入生は、いつも刺激的で影響を受けました。小1で芸大を目指す子のピアノを聞いたときは、レベルの高さと猛練習ぶりに唖然とし、私のは趣味の域なんだと早くも思い知らされたり、中学では東京に戻って受験する子をきっかけに東京都内の有名高校は私立公立ともに偏差値順にほとんど把握し、後に役立ちました。
そして高校の時、今でいうギャルがやってきて、「あのさ〜」とまったり話しかけてきたかと思えばいきなり弾丸トークでまくしたてる東京弁に圧倒され、垢抜けてスマートな感覚にクラッときたのをよく覚えています。思えば'東京の女子高生'ってなんかすごい!と感じた最初でした。

■実践女子大学時代の思い出
〜日野寮〜
大学受験直前、本屋で実践女子大学の赤本(大学入試過去問題集)の中に「渋谷」と「サッカー同好会」の文字を見つけ、あっ、私ここに行くかも?!と直感、1、2年時は「日野」を知らずに受験し、渋谷と日野のギャップに戸惑いつつ、日野寮へ入りました。  
全国から集まった寮生は360人もいて(特設のプレハブ寮ができるほど)、各地の方言が飛び交い、厳しい門限やいろんな規則のある寮生活は独特で、4人部屋、ユニークな先輩、後輩、違う学部の友達もいっぱいでき、2年間とても貴重な体験でした。今は東日本大震災の被災地出身の子たちのことがたくさん思い出され、無事を祈るばかりです。

〜サッカー同好会〜
日野寮の目の前にある芝生のグランドが素敵で、迷わずサッカー同好会へ入りました。まだ女子サッカーが珍しかった時代、コーチは中央大学の同好会の方々が来てくださり、週3日の練習や夏の合宿はかなりハード。東京都女子サッカーの1部リーグ戦は本当に思い出深く、決して真面目な部員とは言えませんでしたが、1部リーグで頑張った4年間のサッカー仲間はかけがえのないものです。写真は2010年2月35周年記念パーティ
〜英文科Cクラスと教育実習〜
担任の澤井先生(前学長)がこんなクラスは珍しい!と仰ったほど出身高が実践の学内外関係なくみんな仲良しで、授業を休んでも、頼んでいないのに必ず誰かしら代返や代筆をしてくれて、ポケベルもケータイもない時代に、すごいあうんの連携プレーでした。
母校の中学での教育実習。睡眠を削って精を出したのは授業の教材より生徒全員との交換日記。みんなが提出する「生活の記録」に毎日コメントを返していく度に仲良くなり、コミュニケーションの基本は一人一人と向き合うことと痛感しました。
遊びも充実の大学4年間で、大学内外に交友関係は果てしなく広がり、今の仕事をする上で大事な人脈の基礎ができました。
■就職
東京ライフを謳歌しすぎ、就職活動もしないまま、実践渋谷キャンパスの隣という理由だけで日本団体生命保険株式会社(現アクサ生命)に就職しました。
配属先は顧客が官公庁&法人という営業部。仕事は営業事務で、当時の通産省、厚生省など役所関係、その他、衆・参議院、日銀、NHK、JAL、etc.官民様々な団体を担当。
ここでも会社内外で人に恵まれ、仕事も充実、かつての上司や同僚たちとは今も年1〜2度会う仲です。長い付き合いといえば入社3年目の時のお客様。今年86歳の素敵な女性とは、警察庁OBのご主人の医療保険の手続きをしたのがご縁で、お礼状のやりとりからいつしかプライベートなお手紙や年賀状交換をしているうちに25年来のお友達に。
今もお誕生日には長電話する仲ですが、まだ一度も会っていません!
■OLから勢いで起業
花のOLは天職と思っていましたが、元気な女子高生と一緒に何か面白いことがしたいという思いは強く、妹の友だちをつてに青学や慶応の女子高生と1986年に女子高生の企画集団「スキャットクラブ」を立ち上げマスコミを賑わせました。
最初は女子高生を社長にとの思いが、本当に仕方なく!私が代表となり1988年に「株式会社ブームプランニング」設立、結果、女子高生マーケティングのパイオニアに。
まさか、OLの私が会社の社長になるなんて思いもしなかったことですが、当時相談した年上の女性起業家から「やっこなら大丈夫!わからないことは何でも聞いて!」と肩を押され、不安ながらも、頼れる人がいてくれるなら心配ないかも?!と、勢いと流れにのって全く新しい人生をスタートさせました。OLと社長業の2足のわらじでしたが、女子高生の放課後と私のアフターファイブの時間が合い仕事の両立ができました。
■人生50年
11年10ケ月のOLを辞めてからはマーケティング対象を女子高生に限らず、小中学生や大学生、社会人や主婦までネットワークを広げ現在に至りますが、いつの時代も、女子高生は私に刺激を与えてくれ、全く飽きない存在で一生つきあいたいと思っています。これまで本当に多くの人たちに常に助けられお世話になりながら、様々な業種の商品やサービスの開発からプロモーションに関わることができました。気持ちマーケティングをする上では50年間人との出会いで経験したことが全て役立ち、心から感謝の気持ちで一杯です。
今は「人」マーケティングとブランディングに興味を持ち、現在2人を育成応援中です。
野菜ソムリエCanaco http://www.canaco831.com/
TOKYO PANDA  http://www.boom.co.jp/panda/index.html
■311から
2011年3月11日、世の中が一変しました。この度の大震災は未曾有の事態を招き、まさに国難です。何よりも被災地の救済・復旧が急務ですが、被災地だけでなく日本全体の中長期的な「復興」も必要です。新しい日本を築くために自分は何ができるのか、どう生きていくべきか考える日々。明日は誕生日、激動の日本で、また新たなスタートです。
中村泰子 プロフィール
1960年4月7日生まれ 
山口県徳山市出身(現周南市) 
身長169cm 血液型B型
趣味:人 クラシック音楽 
映画&オペラ・バレエ鑑賞
旅行 グルメ&お酒

株式会社ブームプランニング 
http://www.boom.co.jp/