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学芸員 福田 訓子さん 
   
原点は美術史への小さな好奇心
仕事に追われる日々、ふと感じるのは実践の美学美術史学科にいかなければ、私の人生は全く違うものになっていただろうということです。今でも鮮明に覚えているのは高校生の頃、大学のオープンキャンパスで美学美術史学科の模擬授業を受けたことです。その時、初めて美術史という学問の存在を知り、なんだか楽しそう・・・そんな小さな好奇心から始まり、今では、学祖の故郷にある美術館学芸員になるなんて。
私のターニングポイント
大学院修了後、学祖下田歌子先生の故郷、岐阜県恵那市にある中山道広重美術館に学芸員として働いています。私は東京都出身のため、社会人1年目は、見知らぬ土地の美術館で、しかも学芸員は1人。右も左もわからない状況での仕事。プライベートでは一人暮らしを始める・・・何もかもが新しい始まりの1年でした。幸い学祖下田歌子先生の故郷にある美術館であるため、なにかと実践の先生方や学長先生、理事長先生方とお会いする機会に恵まれ、いつも励まされ、母校の存在がどれほど力強く感じられたことでしょうか。
学芸員とは別名雑芸員
ひとくちに学芸員といっても、各施設の規模や運営方針によって仕事内容はそれぞれ異なります。私は、美術館で唯一の学芸員であるため、仕事内容は多岐に渡ります。展覧会、教育普及事業の企画・立案・開催から、広報宣伝活動まで全てを担当しています。展覧会は作品や作者についての調査研究をもとに開催するものなので、勉強する時間が必要ですが、その時間をとるのも大変です。美術館スタッフは全員で8人。そのため館内のご案内・作品のガイドを行うこともしばしばで、雑務も多いです。大学時代に博物館学の講義で、学芸員は別名「雑芸員」だと、おっしゃられた先生もいらっしゃいましたが、確かにそうかもしれません。しかし、様々な経験をすることが今は必要なのだと感じています
私の一番の宝物
学生時代は、先生方が美術館・博物館での特別観覧などに積極的に連れて行ってくださり、写真や映像ではなく、「実物」を見ることの大切さを教わりました。学生時代に様々な美術や文化に文字通り「触れた」経験は今後の人生においても一番の宝物だと思います。
広重美術館 地図(拡大)
2008年10月1日刊「なよたけ情報版」掲載