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“ やりたいことは絶対に出来る!”

 

                神田 美智子

神田 美智子(旧姓:清水)
  
プロフィール
昭和30年生まれ。大学卒業後、ヨーロッパを拠点にライター業をし、取材中に知り合ったシャモニー在住の日本人アルピニストと結婚。フランス国公認旅行エージェント、アルプ・プランニング・ジャポンを設立。 2 児の母。

  シャモニーでの出会
 今回、恥ずかしながら、母校の会報誌に、私事をのせることになりました経緯について、まずお話しておきましょう。  会報誌を担当していらっしゃる古藤先輩は、私の住むフランスのシャモニーで、仕事の関係で知り合ったのですが、大学が同じ早稲田と聞いて親近感が沸いたと思ったら、なんとその前が実践だと分かり、その偶然にびっくりしたのでした。というのは、大学まである実践で、外の大学を受けるというのは稀なことで、それも同じ大学に出 たというのは、奇遇としかいいようがありません。それがきっかけで、またスキーという共通の趣味なども介在して、現在まで、お付き合いさせていただいております。

  母の願いは実践でのびのびとだった・・・
 なぜ、実践を選んだかと聞かれたら、これは私自身の選択ではなく、父母の考えでした。特に母が実践の創始者、下田歌子先生を尊敬していたようでした。姉は私よりも6歳年上で、姉も中学から実践に行きました。姉の時代は、小学校から私立に行くケースが多く、実践も結構な倍率で、なかなか入るのに難しかったのだそうです。それに比べると私の時代は、公立全盛の時代で、私立に出るのは、少数派でした。

小学校の時は、友達と遊ぶことが楽しく、それほど勉強せずに、成績はいつも中ぐらいだった私に向かって、母は、「お姉さんの時より、実践が入りやすくなって、美智子は得したわね」と、合格通知をもらった時に、言っていたものです。

 父母にしてみれば、娘がまた受験勉強などという難解な世界へと身をおかず、大学までの一貫教育を配する実践の中でのびのび学園生活を満喫してくれれば良いと思ったのでしょうが、その意に反して、私は、実践に入学した時から、外の大学を受けることを決意していました。
受験校ではない実践で一人、受験勉強をしていた変わり者でしたが、周 りの友人たちは、それを温かく見守ってくれました。受験とは関係のない科目の授業の時、本を楯に、受験勉強をしていたところに先生から当てられてまごまごしていると、必ず周りの友人たちが助け舟を出してくれたのを覚えています。

   語学留学をきっかけに
 早稲田に入ってからは、受験勉強で苦しめられた分を取り戻すかのように趣味のスキーに熱中し、信州の栂池高原で、夏も冬も休みとなるとアルバイトをしながら自然の中での暮らしを満喫しました。 そこでは、まさに水を得た魚のように自分が自然体になるのを感じました。都会生まれの私が本当の居場所を発見したような気になったのです。 しかし、遊びほうけていた私は、大学を卒業した時、何も身に付いていない自分に呆然とし、自立する道として語学をやることにしました。 学校で10年間やっても何もしゃべれなかった英語に見切りをつけて、フランス語を習うために、日仏学院へ2年間通った後、スイスのローザンヌへ語学留学しました。

 その後、趣味のスキーと語学を武器に、海外スキーツアーの添乗員として働く内に、こんなすばらしいヨーロッパのスキー場を何とか、日本の皆さんに広めたいと思い、スキー雑誌のライターをやるようになりました。
  取材で立ち寄ったシャモニーで、現在の主人と知り合い、国こそ違え、大学時代からの憧れだった高原暮らしを始めることになったのです。
   好悪を基準にやるべき道を見つける
 シャモニー暮らしも、今年で18年目。10年前に現地で唯一の邦人旅行エージェントを設立し、シャモニーやスイスアルプスを中心に日本からのお客様のお世話をする仕事や、メディア関係のコーディネートの仕事の他、最近では、スポーツエージェントの仕事も請け負っています。
 私の持論は、“自分がやりたいと思うことは、絶対に出来る”ということで、仕事でも何でも、自分の気持ちに忠実になることです。
  また、どんなことも遅すぎることはなく、やりたいと思った時がやり時です。諦めず、常に目標に向かって進んでいくこと。最終的には、好悪という単純な基準で、自分のやるべき道を見つけていく、それが悔いのない人生を歩む秘訣だと思います。