父母にしてみれば、娘がまた受験勉強などという難解な世界へと身をおかず、大学までの一貫教育を配する実践の中でのびのび学園生活を満喫してくれれば良いと思ったのでしょうが、その意に反して、私は、実践に入学した時から、外の大学を受けることを決意していました。
受験校ではない実践で一人、受験勉強をしていた変わり者でしたが、周
りの友人たちは、それを温かく見守ってくれました。受験とは関係のない科目の授業の時、本を楯に、受験勉強をしていたところに先生から当てられてまごまごしていると、必ず周りの友人たちが助け舟を出してくれたのを覚えています。
語学留学をきっかけに 早稲田に入ってからは、受験勉強で苦しめられた分を取り戻すかのように趣味のスキーに熱中し、信州の栂池高原で、夏も冬も休みとなるとアルバイトをしながら自然の中での暮らしを満喫しました。
そこでは、まさに水を得た魚のように自分が自然体になるのを感じました。都会生まれの私が本当の居場所を発見したような気になったのです。
しかし、遊びほうけていた私は、大学を卒業した時、何も身に付いていない自分に呆然とし、自立する道として語学をやることにしました。
学校で10年間やっても何もしゃべれなかった英語に見切りをつけて、フランス語を習うために、日仏学院へ2年間通った後、スイスのローザンヌへ語学留学しました。 |