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過去のイベント案内・報告

 11 月 18 日(土)桜会会館2Fホールに於いて、実践キャリアネット総会が開催され、若松理事長の挨拶のあと、下記の通り議事を執り行いました。
 総会終了後、講師に眞島 フユコさんをお迎えし、講演会を行ないました。
 眞島 フユコさん は、昭和 17 年、実践女子専門学校家政を卒業後、出身地の広島へ帰り NHK 広島放送局に入局。 20 年 8 月 6 日、仕事中に被爆されました。
その後上京し、 22 年、時事新報に勤務。最初は、政治部で人名、政党など名前の読み方に苦労されたり、他の人に「誰かに代わってくれ」といわれたりしたこともあったそうです。それでも、仕事は辞めようとは思わなかったとか。当時、国会の担当で読売新聞の遊軍記者だったご主人とご結婚。ご主人のお父様は薬学専攻の方で、眞島さんが原爆にあったということで反対されましたが、
眞島さんご本人は一向にそんなことは知らずにご結婚されました。当時はまだご主人も駆け出しでこき使われている時期、眞島さんはそっと帰宅することもあったそうです。
 27 年、東京放送開局と同時に入局し、ラジオ東京では最初、番組の作り方などの講習を受け、その後「ラジオスケッチ」を担当されました。その番組では自分で取材に行き、原稿も書き、 6 本の番組を 4 人で作らなければならなかったとか。

 結婚後、せめて子供が生まれるまでは仕事を続けたいと思っていたそうですが、お手伝いさんに恵まれ、ひとりめ、二人目と 3 人のお子さんを育てながら、お仕事を続 けられました。
報道畑ひとすじに、副部長として 55 歳の定年まで勤務されました。
とてもパワフルで、お元気な眞島さん。
職中、男性がご自分より上の役職になったときなど、ある人に「おかしいわよ」とおっしゃったことがあり、そのうちご自分も役職があがったとか。積極的に自分を売り込むことも必要なことがあるというお話しもされました。
とてもパワフルで、お元気な眞島さん。
左は、市川事務局長
眞島さんは、「仕事はいつでも辞めることができるが辞めたら最後だ」と思っていら れたそうです。
眞島さんにとって、仕事というのは楽しいことだったと。もしできるなら同じ経験をまたやりたいとおっしゃっています。
3 人のお子さんを育てたご経験から、今は家庭教育がなっていない、親は何でも学校におしつけているけれど、必要なことは家庭での教育ではないか、と。
また、人間にとって大切なことは体験主義だと思うが、同じ寓を繰り返している。体験するということはとても重要なことだ、と結ばれました。
 当時育児休業などない時代に、マスコミの熾烈な環境の中で活躍され、現在も、お元気でいきいきとして過ごされている眞島さん。なにより私たちの先達として尊敬の念を禁じえませんでした。