千葉支部

湯浅茂雄学長講演 「明治時代の女学生の言葉」に寄せて
 2009 年5月31日
湯浅茂雄学長講演 「明治時代の女学生の言葉」に寄せて
坂本佐智子(39年大国)
 
 講演が始まる時、私は久しぶりに、講義を受ける学生の気分で、少し緊張してペンを握っていました。
「学長職に専念して授業が出来ないのが寂しいです」とおっしゃる先生は、資料を映写しながら、スピーディに内容豊かに語ってくださいました。その一部分を 紹介します。
明治時代になって“言葉”は江戸時代とは大きく変化しました。言葉が目の前で
ガラガラ音をたてて変わった時代でした。最も大きな変化は「語彙」です。その意味は、明治の先人は外国語を日本語に組み替えていくことに長けていたので、 西欧的概念を日本語に訳したのです。この語彙体系の変化は、音韻体系の変化そして文法体系の変化と共に、言葉の枠組みとして非常に大きいものです。
このように言葉が大きく変化した明治期、「女学生の言葉」は、日本語の大きな変化のひとこまと言えます。言語史研究上言われることは、若い女性は新しい言 葉の動きに敏感で、素早く取り込んで話すようになると考えられています。特に明治20年代“女学生”と云う言葉が都市風俗として定着しており、彼女達の話 す言葉は、近代日本語の成り立ちと別物ではないのです。その女学生とは12〜18・19歳の良家のの子女が多く、知識人としてその服装や言動など憧れの的 で、世間から注目されましたが、一方では新しい風俗ということで、批判的な目を向けられる対象でもありました。
では実際に女学生がどんな言葉を遣っていたのでしょうか。その資料として明治21年に出版された三宅花圃の小説「藪の鶯」をとりあげました。これは鹿鳴館 時代を背景にして、欧化主義に迎合した家族の中で、自由奔放に生きる新しい世代の女性と、両親を亡くした苦学生を支える姉で、女徳を備えた伝統的な女性を 対照的に描いた作品です。作者自身は欧風生活にどっぷり浸っていましたが、小説では欧化主義を批判して、伝統的な女性を称賛しています。
そんな中で学祖下田歌子先生が登場します。下田先生は明治15年に桃夭学校を開設していますので、この頃にはすでに古典(源氏物語)や和歌・書き物なら下 田先生との定評があったことを窺わせる会話があります。
さて「女学生の言葉」ですが、特徴として、「お〜遊ばす」「ごさります」や「お洋服」「おっしゃる」「お出来になる」の敬語の多用、「〜てよ」「〜だわ」 「〜わ」「〜こと」
「〜もの」の言い方「です」や外来語の使用等が挙げられます。当時の女学生のいきいきした会話が聞こえてくるようです。
明治期のわずか30年間で、言葉は大きく様変わりしました。話し言葉と書き言葉の大きな変化が、ほぼ形を成し、(言文一致体は)ほとんど(小さな差を除け ば)現代の言葉に繋がるという結論でした。
湯浅先生のお話は、長い日本語の歴史の中で、明治時代のことばの変化の持つ意味と、女学生の言葉の位置づけについて理解を深める良い機会になりました。
マスコミが発達した現代は驚くほど言葉の動きが活発です。「言葉は目の前で音もなく変わる」(見坊豪紀氏)のを戸惑いながら受け容れているのです。言葉を “文化”として認識しながら、時代の流れや社会の変化を感じ取っているのだと思います。