千葉支部

足尾研修旅行に参加して
 2009 年7月4日・5日
足尾研修旅行に参加して
今野りよ子 (39年短英)
 
 「足尾銅山の鉱毒問題で「田中正造直訴」をご存知と思います。詳しく愉しく足尾を知る一泊二日の研修旅行を計画しました」との知らせを頂いて行ってみた いという思いにかられたのでした。
それは、田中正造の事を以前本で読んで、深く印象に残っていたからでした。正造の直訴で鉱毒問題は消滅していきましたが、谷中村には洪水の害を緩和する為 に、谷中村をとりつぶして遊水池にする計画を立てたのです。村から追い立てられている農民の生活は悲惨そのものでした。その惨状を見て、正造は谷中に入っ たのでした。
正造は日記にこう記しています。
「人類の為になるには、まずその人類の中に入りて、その人類となるなり。人の為をなすには、その人類の群に入りて、その人類生活の、ありさまを直接に学ん で、また同時に、その群と辛酸を共にして、すなわちその群の人に化してその人となるべし」と。
苦しい実践があったからこそ、そのような真実の言葉を書く事が出来たのですと学んだのでした。
そういう意味で、今回の旅行を楽しみにしておりました。見るもの聞くもの皆、はじめての体験でした。
実践写真部OGの四十年にわたる、足尾の今と昔を見て、そこまで駆り立てたものは何ですかと、尋ねました。「写真です」との答えでした。真実の証である写 真。はげ山が人の和で美しい山へと変貌してゆく。それは、まさに正造が、谷中に入って辛酸を共にしたのとダブるのでございます。
ガイドの方が「実践女子大・短大は足尾にとって、なくてはならない存在です」と、云われました。写真部の方々の献身的な働きのお蔭様で、歓迎して頂き、は じめての「鹿刺し」は、さっぱりとして美味しく頂きました。
お天気にも恵まれ、とても充実した旅行でした。皆様、本当にありがとうございました。

百聞一見に如ず (足尾銅山研修旅行)

花澤怜子(30年大食)

鉱毒被害の町足尾、有毒ガス、禿山、田中正造直訴事件。私達の足尾銅山への
一般知識はせいぜいこの程度であったと云っても過言ではないだろう。此度の企画はこれらの既成概念を根底から覆すものばかりであった。
そして写真部OGの東由美さんの約40年にも及ぶ足尾への執念にも似た熱意と努力にはただ敬服の一語に盡きるものである。
足尾集落の歴史は古く奈良時代より修行地として続き、銅鉱脈発見の慶長年間より採掘が始まり、明治以降近代工業の発展で画期的に躍進した殖産興業下での足 尾は、真に「光と影」の社会情勢下となって推移したのである。
足尾銅山を近代工業化した初代古河市兵衛の頌徳碑の碑文記録に、篆額井上馨、碑文陸奥宗光の名が記され、古河氏の業績もさる事乍ら当時の政界第一人者達と の交流に、改めて国家的事業の現実を知り得たのであった。
また鉱山労働者達に対する福利厚生の充実は瞠目すべきものであり、現在各所に残る公共施設跡の見学は利潤追及のみでなかった経営者の一端を知り得る資料と なった。
更に第二次世界大戦下に於ける中国人捕虜の労働犠牲者を祀る「中国人殉難烈士慰霊塔」等、産業発展の原動力の焦点を確実に把握した運営の実態に一泊二日の 研修は余りある実りであり、二日間のガイド役を務め て下さった足尾歴史館長 長井氏の好意に深謝し、実践女子大写真部銘入りの観光ポスターに母校の誇り を覚えた有意義な行程の旅であった。