千葉支部

軽井沢研修会
  心配していたお天気も快晴に恵まれ、美味しいものを頂き芸術の秋に触れ、また、学生時代に戻っての一晩の合宿生活といろいろ満喫することが出来ました。今 回の至れり尽くせりの企画をしてくださった芝田さんはじめ幹事さん、また、写真の編集等をしてくださった東さん、出家さんはじめ関係者の皆様に感謝いたし ます。
軽井沢と聞いて私の脳裏に浮かんだのはもう40年近く前の軽井沢のイメージでした。当時の若者は夏になれば軽井沢でテニスをするのが流行で、ご多聞にもれ ず私も下手の横好きで職場の同僚と星野温泉や、民宿等での合宿に10年近く参加し、合間をぬってサイクリングやハイキングをしたり、また、軽井沢銀座で ショッピングをしたりの思い出が昨日のことのように思い出されました。
その後は軽井沢に行くこともなく今回30年ぶりに訪れましたが長野新幹線に乗るのも初めてで大宮から乗った私は次が軽井沢なのも驚きでした(昔は横川で機 関車を交換するためホームに降りて釜飯を買うのが楽しみの一つでした)。駅前には広い駐車場と飲食店、アウトレッドモールにはブランド店が立ち並び平日な のに若者で賑わっており東京に戻ったようでした。昔の軽井沢は期待できないのかと内心心配でしたが寮に向かって行くに従い木立のなかに別荘がところどころ あり、特に寮の周りでは懐かしい軽井沢に出会うことが出来ほっとしました。
翌日の木立の中の絵本館、メルシャン美術館の庭園でも澄んだ空気を吸って心身が爽やかな気分になりました。無言館では澄んだ美しい絵に感動するとともに画 学生の遺作がとても良い状態で沢山あったのは驚きでした。二十歳前後のわが子をそれも帰ることがないのを知りながら戦場に送り出すご家族の気持はいかばか りだったでしょう。今、戦争のことを考えるとなんと馬鹿げたことをしていたのかと思いますが当時のトップは国民をなんと考えていたのでしょうか?国民あっ ての国なのに……今も世界では戦争をしているところが沢山あります。早く地球上が平和になることを願わずにはいられませんでした。

軽井沢から行く美術館とランチ

中島千鶴子(48年短国)

 高原の爽やかな風に誘われて一泊二日のミニ同窓会に出かけました。軽井沢には明治の頃から多くの文人が訪れた、そして緑豊かな森、清らかな渓流、雄大な 浅間山といった豊かな自然に恵まれた環境の中からさまざまな文学作品の舞台になっている。
 昔を思いだし「ちょっと文学しよう」
その一人堀辰雄記念館を訪れた。大正時代にいく度となく訪れ、昭和に入って追分に定住し、数々の作品を残した。堀辰雄が毎日見ていたであろう浅間山、肌で 感じていただろうさわさわと林を抜けてくる風に、聞いていたであろう木々のすれあう葉音、あの時代と大分景色も違うであろうが、記念館を訪れ、奥深き文学 の世界と新たな軽井沢の魅力をちょっと体感しました。
 この旅の中の一日目のランチ
ホテル藤屋の心あたたまるおもてなしにホットとしました。ロビーには作家川端康成の自筆の書が飾ってあり、ここの旅館の心地よさが伝わってきます。
 二日目のランチもびっくり。
浅間山を眺めながらの旬の素材を使った8品の料理。レストランの眺望も一つの料理です。最後のデザートまで私達をわくわくさせてくれました。リピーターが 多いのも、なかなか予約がとれないのも頷けます。
そして四季の移ろいが感じられるレストランから上田の無言館に行きました。小さい美術館です。太平洋戦争で志半ばにして戦死した画学生の遺作を展示。出征 の限られた時間に恋人を描いたという「裸婦」など等……。「うちの子供たちと変わらない年齢なのよね」の友達の一言に思わず私の目頭が熱くなりました。
 今回心身ともにリラックスでき、バラエティ豊かな旅でした。お土産といえばお土産話(諸先輩方の貴重なお話)と、セミナーハウスの近くで拾った山栗で す。別に頂いた栗とあわせさっそく栗ご飯にしました。「皆、栗ご飯ができたわよ!」おいしかったのは言うまでもありません。