千葉支部

学祖下田歌子先生生誕150周年記念式典の感想文

昭和59年大英卒 西村和恵 (旧姓 久保川)

学祖下田歌子生誕150周年記念の式典、記念講演、祝賀会に思いがけず、出席できまして本当に嬉しく思っております。前日の夜からいろいろと思い起こすと、なかなか寝付くことが出来ませんでした。

当時、渋谷キャンパスは 中高生と大学3、4年生が 同居しておりましたが、高校卒業以来中高キャンパスには 足を踏み入れることはありませんでした。大学3年生の教育実習で母校に帰り、また、大学生活の3、4年生を渋谷キャンパスで過ごせる最後の年でもあり、思い出が幾重にも重なり、とても感慨深い渋谷キャンパスです。

20年ぶりに渋谷の駅に降り立ち、中高生の時は 禁止されていた 日赤医療センター行きのバスに、同行した娘 (小学校2年生) と乗り込み、私は、つい興奮した口調で娘に、学園までの道順や風景を説明しました。正門から 見える風景は、当時とはかなり違っておりましたが、受付をすませ講堂に上る階段を進む途中に、ちょうど「高2-9」の教室が目に入りました。当時の数学の先生や英語の先生のお顔が思い出され熱心に職員室に質問に行っていたことをおもいだしました。

ここは、エスカレータ式にそのまま大学英文科に進学するか、あるいは、理数系の他大学に進学するか真剣に悩んでいた頃の自分を思い出しました。結局、現在の 英文学科教授・大関啓子先生のご指導を受け、また、先生からの影響も受けて英文科に進学し、当時オスカー・ワイルドの日本第一人者である故 小倉皐先生のゼミで学ぶことが出来、いまになれば、最高の知識を得ることが出来ましたことを誇りに思います。

講堂の正面に校歌が刺繍文字で飾られ、椅子も床も壁も天井もタイムスリップしたように当時のままでした。在校生は高校3年生だけの出席でしたが、制服の胸元の白いリボンが きらりと光り、すがすがしさを感じました。当時は、ナイロンの白いリボンで、髪は肩につくと2つに結き、それ以上長くなると3つ編みにし、前髪はピンで留め靴下は三つ折りにし、スカート丈も決まっており、その姿からすると、今はずいぶん緩やかな規則になったように思われました。

式も 粛々と進み、90才にもなる諸先輩方のお話や、理事長 (当時大学の教授)・中高 校長・来賓の方の御挨拶、卒業生の元カリタス女子 短期大学の学長、 卒業生の女優の渡辺美佐子さんの講演を拝聴し、いろいろな立場で、いろいろな方が、下田歌子先生のお教えを胸に活躍されていることを知り、私もより一層深く実践女子学園の卒業生であることを、誇りに思いました。

質素にて良妻賢母および、研学の精神を持って、地域の教育等に貢献し、また、諸先輩方の築かれてきた道を汚さぬように後輩のよき理解者、手本となれるよう、自分自身に磨きをかけ、微力ながらも今後の実践女子学園の繁栄に力を注ぎたいと思いました。

祝賀会におきましては中高大10年間を通しての懐かしいお世話になった先生方とお会いし、お話しして当時の多感な少女時代を思い出し、時間の経つのも忘れ、先生方と、止むことのないお話で、夢中になりました。娘も、「ママの学校はとってもおおきくって立派だね。私もあんなセーラー服をきてみたい。」と、言ってくれました。親子二代で、伝統ある女子教育の先駆者の学祖である下田先生の学園で学ぶことが出来たらどんなにすばらしいことでしょうかと心に思いました。

今回出席できまして心より、感謝しております。同級生や千葉支部の諸先輩方にお会いすることが出来なかったことは、とても残念に思いました。また何かの折に触れ、是非出席したいと思います。これから 千葉支部発展のために、出来る限り協力していきたいと思います。

(東 由美/千葉支部)